柳の下に猫は2匹いない

戦前日本映画史ネタの覚え書き

岡田時彦「時彦戀懺悔」

『漫談レヴィウ 徳川夢声岡田時彦古川緑波集』(1929年 現代ユウモア全集刊行会)

岡田時彦は当時から名文家と謳われたほど味わい深いエッセイをたくさん書いている。
本作において、徳川夢声古川緑波といった優れた随筆家と並んで収録されたということはその文章力を認められている証左といえる。
作品は5編収録されているが、唯一の創作である「偽眼(いれめ、と読む)のマドンナ」は岡田時彦名義で発表されたもののその実渡辺啓助の代作だったことが現在では有名である。
当時は"映画俳優が小説を書く"という触れ込みが一種の流行りだったらしく、鈴木傳明名義で横溝正史が代作したものもある。
岡田が自分でエッセイを書いて発表するようになってからは、南部僑一郎が時々代作をしていたと証言している。
それによると岡田は代作したものまで原稿料をせびってきて困ったらしい。
とにかく金にうるさいことで有名だった岡田時彦、この作品ではどうだったのだろうか。

「時彦戀懺悔」は簡単にいうと岡田時彦の女性遍歴である。
書き出しには〈十八の年の夏〉とあるので、岡田が本名の高橋英一名義で大正活映に参加した時期になる。
本編では大正活映ならぬ〈東洋活動〉と書かれており、そこで人気女優の〈香山美樹子〉、作家の〈神崎十一郎〉と出会う。
わかる人にはすぐわかると思うが葉山三千子と谷崎潤一郎のことである。
他にも今東光佐藤春夫と思われる変名が登場する。
佐藤春夫は岡田の随筆集『春秋満保魯志草紙』の装幀を担当しており、その点でも繋がりがある。
物語の性質上実名を使うわけにはいかないにしてもいかんせんバレバレの変名、今東光など葉山三千子に怪文書を送りつけていたことが書かれており不名誉極まりない扱われ方をしている。

『元々大切なことだし、あたし何も今直ぐに御返事を聞くわけぢやないけれど、それにあたしとしたところで、よく考へていたゞいた上での御返事の方が好ましいに相違ないのですけれど……』
 ――空は星明り、海は暗く遥か。
 口説の奔流に乗つて、僕はたゞ快く酔つてゐました。さうしてやがて、いつの間にか僕の掌に重ねられてゐたお末の両手を僕がガツチリと握り返したからと云つて、どんな神様も決してお咎めにはならなかつたと思ひます。

 岡田の書く地の文には素人らしい冗長さ(とにかく一つの文章が長い)がありながらも、時折ぶつかる叙情味溢れる文章には目を瞠るものがある。
このあと童貞卒業を告白しているのも驚きだが、そこからかなり際どい描写が出てくる。
〈彼女は至極物慣れた手際で僕の×××、×××××××××くれたのです。〉といった具合である。
演出で伏せ字にしたのか(それを狙った探偵小説もある)検閲の手で伏せ字にされたのかわからないが、愛人を作ったり性病にかかったり、仮にも映画俳優の二枚目スターがこんなことを書いてよかったのか心配になってくる。

『何ぼ畜生やかて、うちがあれほどイヤや云ふといたことを何も殊更せんならんことあらへんやろ。おまけに男同士でさへ秘さんならん所を……』
『馬鹿ツ』
『あんたが云はんかて馬鹿はよう知つてます。馬鹿でなうて誰があんたみたいな甲斐性なしを世話します? しやうもない、男一人前にもなつといて自分一人食ひつなぎも出来んとやう口幅たいことが云へたもんや。』
『馬鹿々々ツ。』
『――あの畜生どないしたろ。犬殺しに頼んだかて腹は癒えへんし、蹴つて蹴つて蹴殺したろかしらん。』

流れるような関西弁にはまるで『卍』でも読んでいるかのような感覚があり、さすが谷崎潤一郎の弟子といったところ。
この引用文の時点では葉山三千子と別れ、二人目の〈富田由良子〉なる女性と同棲している。
きっとこの女性にもモデルがいるのだろうが今となってはわかりそうもない。
葉山三千子と同様この〈富田由良子〉もとんだ食わせもので、もし最初の時点でいい女性と巡り合っていたならばもうちょっとまともな恋愛観を持てるようになっただろうにとつくづく思う。

大正活映の第1回作品である『アマチュア倶楽部』(1920)のフィルムは関東大震災の被害で失われてしまったといわれている。
岡田はこの撮影時の思い出を「ぐりいす、ぺいんと懺悔」と題したエッセイに書いている。
勘当同然で家を飛び出した高橋英一青年は谷崎潤一郎への義理に引きずられるままに活動役者になり、行きがかりで『アマチュア倶楽部』の撮影に参加する。
ところがロケーション地が当時高橋一家が住んでいた鎌倉になってしまった。
あれほど活動役者になったことを周囲に知られないよう約束したのに見物人は近所の顔見知りばかり、ただでさえカメラの回る音にあがりっぱなしの上に夏の暑さも手伝って冷や汗が止まらない始末であった。
映画史上においてエポックメイキングとなった作品ではあるが、彼の名誉のためにもこのまま発掘されないほうがいいのかもしれない。