柳の下に猫は2匹いない

戦前日本映画史ネタの覚え書き

『霧笛』鑑賞記~村田実と中野英治、そして志賀暁子~

12月23日、神戸映画資料館にて念願の村田実監督『霧笛』(1934)を鑑賞した。明治期の外人居留地を舞台に、異人のクウパー(菅井一郎)のもとで下男として働く元スリの千代吉(中野英治)は、喧嘩の強さから地元のやくざを取り仕切る豚常(村田宏寿)に目をつけられる。千代吉は豚常の縄張りのチャブ屋でらしゃめんのお花(志賀暁子)と出会い惹かれ合うが、お花がクウパーの愛人であることを知り、やがてお花をめぐって千代吉とクウパーは対決する。

ざっと筋書きを紹介した通り、登場人物の関係性において中心となっているのは千代吉とクウパー、千代吉とお花ではあるが、千代吉に因縁をつけて喧嘩を挑む地元のやくざ、代官坂の富(小坂信夫)の存在も忘れがたい。千代吉との喧嘩に負け、弟分となって千代吉の危機を救おうとする富は、劇中の台詞いわく「ぽかぽかやって」勝てば男同士のヒエラルキーが決まる単純さが見ていて一種の心地よさがあった。

本作の主眼はお花をめぐる三角関係というよりも、千代吉のクウパーに対する感情の変化である。クウパーの下男として忠実に働き、クウパーの癖さえ身につくほどになった千代吉が、お花の相手がクウパーだったと知るに及んで、哄笑しその肖像を踏みつける。そこには主人の女を寝取ってしまった罪の意識などではなく、クウパーという絶対的な存在が崩れ去り、一人の侘しい老人に対する軽蔑や憎しみの感情が読み取れる。上映終了後、木下千花先生が指摘していたように、これが千代吉のクウパーへの失恋というホモソーシャルな関係性を暗示しているとするなら、千代吉と富の関係性もまた、やくざという男の世界におけるホモソーシャルが描かれているといえる。

千代吉とクウパーの出会いは冒頭、スリ時代の千代吉が仲間に唆されてクウパーを標的にする場面からはじまる。犯行は未遂に終わるのだが、悪事を働いた千代吉をクウパーは警察に引き渡すでもなく一生自分のもとで働け、という。時が経ち、次の場面ではすっかり堅気となった千代吉のボサボサだった頭は綺麗に整えられ、後ろに撫でつけられている。これをクウパーの好みに仕立て上げたとみるのは穿ちすぎかもしれないが、見ていて私は村田実と中野英治の関係を彷彿とさせた。

――すると、中野さんと村田監督は波長が合っていたというか?
中野 ええ。ぼくにはわりに優しかったしね、上手にできない時でも親切丁寧に教えてくれました。「もともとこっちは先生が拾ってきた野良犬だから芸ができなくっても当たり前だ。もっと上手いのが欲しいなら築地(小劇場)の役者でもなんでも呼んでおやりになったらどうですか!」と平気で言うんですよ、ぼくは。と、「そう言わないでやって下さいよ」ということになるんです。これは他の俳優に対するデモンストレーションでもありましたけど、ね。
――村田さんは新しいものに非常に敏感な人だったようですね。
中野 ええ。新しいもの好き。それで思い出すのは、ぼくが村田さんに会った最初の頃、「英ちゃん、スマートにならなきゃ駄目よ」と言われたことですね。その時ぼくははじめて「スマート」という言葉をきいた。「ハイカラ」とかは言ってましたけど、「スマート」は珍しかった。帰って辞書引いて調べたりしてね。それからね、「金曜会」というのに連れていかれましたね。(中略)で、この連中に洋服の着かた、洋食のテーブル・マナーなどを全部教育されたわけです。この「金曜会」は村田さんのブレインです。村田さんが親友の森岩雄さんと拵えたんです。

岩本憲児・佐伯知紀「聞書き日本映画史 中野英治(上)」
『月刊イメージフォーラム』4月号(ダゲレオ出版 1985年)

中野が自身を「野良犬」と称しているように、法政大学の野球部から天勝野球団に入団し、震災後に球団が解散すると、船員や映画館の楽士を転々とする*1天勝野球団にいた縁から日活京都の野球部に誘われた中野は俳優部に籍を置き、野球をやりながら遊び半分でできる仕出しをこなす日々を送るうち、履歴書が目にとまった村田実によって見出されることになる。演技の経験もないズブの素人だった中野を村田は指導し、中野いわく「野良犬」を立派な紳士に教育したわけだが、まるで『痴人の愛』の譲治とナオミではなかろうか、と思うのはやはり過言かもしれない。

ところで本作はもちろん検閲を通っており、キスを想起させる場面や人道上問題のある場面は削除されているそうだ。しかしながら、千代吉とお花の描写、とりわけ繰り返される「壁にたたきつけてやろうか」という台詞などからは肉体を感じさせる生々しさがあり、当時の作品でここまで性行為を匂わせているのは結構な衝撃であった。実際に中野英治と志賀暁子は一時的に愛人関係を結んでおり、それを踏まえてみるとより官能的な作品に思えてくる。志賀は自伝の中で、ダンサーをしていた19歳の頃ダンスホールで初めて中野に会ったときのことを述懐している。

「あんた、日活の中野さんじゃない?」
私がこう囁いた時、彼は鼻の先で笑って、
「中野英治だったら?」
(どうなんだ)と眼までがいたずらっぽく笑いながらせまって来ました。
 のがれえぬ宿命というのでしょうか、運命のいたづらというのでしょうか、その夜私の花の蕾は中野英治さんによって無理矢理開かせられてしまいました。
 そしてその夜、私は中野さんに二度と私の体に触れないこと、そしてこれからは兄のように私を愛し、みちびいてくれるよう頼みました。彼も至極真面目に私の申出を守ることをちかってくれました。

志賀暁子『われ過ぎし日に―哀しき女優の告白―』(学風書院 1957年)

本当に初体験の相手だったかどうかはともかく、中野は志賀に自分の家の一室を間借りさせたり、『霧笛』への出演にあたって面倒をみたりと奔走してくれたようだ。志賀と出会った頃の中野はまだ英百合子と結婚していてあいだに一子(のちの長谷部健)もいたし、『霧笛』の時期にしても志賀以外に数人の愛人がいた。入江たか子に手を出そうとして菅井一郎に阻まれたのも同時期のことだろう(詳しくは過去の記事参照)が、これだけのレディキラーでありながら人間性に関しては悪く言われているのを見たことがないというのも不思議な人である。

志賀はこのあと周知の通り堕胎事件を起こし逮捕、中野は同年に新興キネマから第一映画に移っている。志賀にも中野にも去られてしまった村田は3年後に43歳の若さで病死するが、画面奥に消えてゆくクウパーの姿に村田の晩年を見る思いがする。

kobe-eiga.net

*1:色川武大「[昭和モダンボーイ指南]色川武大、”銀幕の不良少年”中野英治に聴く。」『エスクァイア日本版』6月号(エスクァイアマガジンジャパン 1988年)