柳の下に猫は2匹いない

戦前日本映画史ネタの覚え書き

映画『虞美人草』(1941)と『三四郎』

夏目漱石原作の『虞美人草』は過去2度映画化されている。
最初の映画化作品となる溝口健二版(1935)を見た記憶はあるのだが、内容は完全に忘れてしまった。
概要を確認してみると主人公を宗近に、ヒロインを小夜子に据えたものに変更しているらしい。
現存するフィルムの保存状態がすこぶる悪い(台詞が聞き取りづらい)せいもあって、評価はあまりよくないようだ。
溝口版に関する言及は今回の眼目ではないので置いておくとして、もう一つの中川信夫版(1941)は素晴らしかった。
中川信夫という人はもともと新感覚派文学やプロレタリア文学に傾倒して同人誌に小説を書いたこともある文学青年なので、文芸作品とは相性がいいはずなのだ。
ことに本作は原作の世界観や時間の流れ、漱石が書いた一字一句をいかに大事にしているかが伝わってきた。
とはいえ原作とは違い、小野が小夜子と藤尾を引き合わさず藤尾の死を劇的に描かなかったのは、原作で向けられた藤尾に対する作者の意図*1を排除し、あくまでも青春恋愛映画としての枠組みから外れないようにするための配慮だろう。
しかしながら、そうすることによってかえって藤尾が死に至るまでの説得力に欠ける結果になってしまったのは否めない。
本編の台詞も原作の"漱石節"といえる独特な語り口をほぼそのまま使っているのだが、これまたイメージによく合ったキャストが見事にものにしていた。
高田稔の甲野(高田稔贔屓の私としては彼が甲野欽吾を演じてくれたというだけで満足なのだが)は意志に伴わない現実的な無力さがよく出ていたし、特に江川宇礼雄の宗近は出色の出来だと思う。
同じ漱石作品でいうなら『吾輩は猫である』(1975)における伊丹十三迷亭に匹敵する役の完成度である。
私は漱石作品に登場するこの手の人物が大好きなので、江川にはぜひ『三四郎』の与次郎を演じてもらいたかった。

さて、本作にはその『三四郎』からの引用が度々行われている。
本作の台詞は劇中からの書き起こし、底本はそれぞれ新潮文庫の『虞美人草』、『三四郎』(いずれも2015年)である。
散歩に出かけた甲野と宗近は昼食に蕎麦屋へ向かう道中、〈近頃は学校の先生でも昼飯を蕎麦で済ます者がだいぶ多くなったそうだ〉という話をする。
蕎麦屋では共通の友人である浅井(嵯峨善兵)が現れ、釜揚げうどんを頼む。

宗近「こいつ、相変わらず釜揚げうどんを食う。夏でも食ってるんだから。野暮な奴だ」
浅井「広田先生でも、夏やっとるのう」
甲野「そりゃおおかた胃が悪いんだろう」

浅井のいう〈広田先生〉とは『三四郎』に登場する人物で、漱石ファンならばニヤリとするところだろう。
この会話に該当する場面が『三四郎』で描かれている。

 高等学校の生徒が三人いる。近頃学校の先生が午の弁当に蕎麦を食うものが多くなったと話している。蕎麦屋の担夫が午砲が鳴ると、蒸籠や種ものを山の様に肩へ載せて、急いで校門を這入ってくる。此処の蕎麦屋はあれで大分儲かるだろうと話している。何とかいう先生は夏でも釜揚饂飩を食うが、どう云うものだろうと云っている。大方胃が悪いんだろうと云っている。

三四郎はこの会話を蕎麦屋で聞いている。
つまり、本作における蕎麦屋の場面は『三四郎』のパロディをやりたいがために用意されたといっていい。
妄想に入った見方をすれば、本作は『三四郎』と同一線上の物語であるかもしれない。
三四郎が図書館で借りた本に落書きされたヘーゲル論を見て、与次郎が〈大分振ってる。昔の卒業生に違ない。〉とそれを気に入る場面があるのだが、この〈卒業生〉が甲野だったらと思ってしまう。

「ハハハじゃ中位に描いて置こう。結婚と云えば、あの女も、もう嫁に行く時期だね。どうだろう、何処か好い口はないだろうか。里見にも頼まれているんだが」
「君貰っちゃどうだ」
「僕か。僕で可ければ貰うが、どうもあの女には信用がなくってね」
(中略)
「あの女は自分の行きたい所でなくっちゃ行きっこない。勧めたって駄目だ。好きな人があるまで独身で置くがいい」
「全く西洋流だね。尤もこれからの女はみんなそうなるんだから、それも可かろう」

三四郎』で美禰子を評した広田先生と原口の会話を、本作では甲野と宗近に流用している。
美禰子は学歴と教養を持ち、自我に目覚めた近代的な女性という点で藤尾とは同じカテゴリに属した人物といえる。
甲野は父親の遺品である金時計(今では藤尾の持ち物になっており、金時計を譲ることは藤尾を差し出すことでもあった)を宗近に譲る約束をする。
その際〈藤尾は自分の行きたいところじゃないと行きっこないかもしれないが〉と付け加える甲野に、宗近は〈全く西洋流だね。もっともこれからの女はみんなそうなるんだから、それもよかろう〉と答えるのだが、この時の江川の言い捨てるような演技が少々気になる。
宗近はそもそも藤尾に好意を持っており、彼女の〈西洋流〉なところにむしろ惹かれているのである。
現に〈外交官の妻はああいうハイカラな人でないと将来困る〉といっているのだから、この時の宗近の態度とは大いに矛盾が生じてしまうことになる。

「あなたは藤尾に家も財産も遣りたかったのでしょう。だから遣ろうと私が云うのに、いつまでも私を疑って信用なさらないのが悪いんです。あなたは私が家に居るのを面白く思って御出でなかったでしょう。だから私が家を出るというのに、面当ての為めだとか、何とか悪く考えるのが不可ないです。あなたは小野さんを藤尾の養子にしたかったんでしょう。私が不承知を云うだろうと思って、私を京都へ遊びに遣って、その留守中に小野と藤尾の関係を一日一日と深くしてしまったのでしょう。そう云う策略が不可ないです。私を京都へ遊びにやるんでも私の病気を癒す為に遣ったんだと、私にも人にも仰しゃるでしょう。そう云う嘘が悪いんです。――そう云う所さえ考え直して下されば別に家を出る必要はないのです。何時までも御世話をしても好いのです」
 甲野さんはこれだけでやめる。母は俯向いたまま、しばらく考えていたが、遂に低い声で答えた。――
「そう云われて見ると、全く私が悪かったよ。――これから御前さんがたの意見を聞いて、どうとも悪い所は直す積だから……」
「それで結構です、ねえ甲野さん。君にも御母さんだ。家に居て面倒を見て上げるがいい。糸公にもよく話して置くから」
「うん」と甲野さんは答えた限である。

蕎麦屋の場面に話を戻す。
本作は原作の冗長な部分をカットし、時系列を変えるなど必要な場面の取捨選択が非常にうまいのだが、原作において藤尾の死後に甲野が母に打ち明けた思いの丈をこの場面で甲野は宗近にのみ吐露する形に変えている。
さらに藤尾の死の前に宗近は洋行へ出立しており、その場へ駆けつけたのは甲野と糸子だけになっている。
原作と違い悲しみに暮れる母へ甲野がかけた言葉は〈泣いたって仕方がない。お諦めなさい〉という一言のみで、本来ならば宗近の台詞を使っているからかずいぶんと突き放した印象を受ける。
実の娘に死なれ、義理の息子に家を出て行かれる状況に置かれているからこそ母に向けられた甲野の言葉は救済にもなるのだが、本作ではそれは宗近だけが知っているため甲野と母の確執は依然として残ったままである。

*1:〈藤尾といふ女にそんな同情をもつてはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつを仕舞に殺すのが一篇の主意である。〉(小宮豊隆宛書簡 1907年)※引用は「解説」『虞美人草』(新潮文庫 2015年)より